建築は服と同じ [住宅]
昨今、見たい建築を 大阪・神戸でセレクトし、実際に行こうと計画しようと、有名建築物をピックアップしていたら、ちょっと前の安藤忠雄作品も取り壊しの憂き目にあっている。
どんな建築家も、取り壊されることを念頭に設計はするわけがないのだが、これらを目にすると、家も建築物も、いわゆる「服」と同じだなあと しみじみ感じてしまう。
無論、服のように、数年 それどころか1年で流行りすたりが起きてしまう程ではないが、10年前は明らかにちょっと古いし、5年前だと新しさが失われる。
遠藤新というフランクロイド・ライトの弟子が作った 旧甲子園ホテルを見ようと思うのだが、あれほどなれば、古さも何もない。残る建築を作るというのは実に大変だなあと感じる。
先日世界遺産になった、国立西洋美術館は、古さも新しさもない、建っている必然性があるような建物だ。そうなると、ずっと残るし、当然、歴史的建築物の数々はそうなっている。
今の時代、そんな服みたいな家を作るしかないのが 現代を生きる我々の宿命だが、それでも残ってほしいと思うのは親心と同じ。でも、人間の血筋 血縁も 時代とともに薄れ、誰の子孫だろうかと思う人間も 未来に行くほど記憶も記録もなくなるのが分かっている。それと きっと建築物も同じなんだろうなあと・・・
ちょっと黄昏る気分である。
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