骨作らずして、作品を作ったことに非ず [住宅]
当方、意匠設計者のいわゆる補助的な仕事ともいえる木造の構造設計を仕事の「主」としている。
本意としては、構造で役立てた技術を 自分の意匠設計に還元したいと思っている。
しかし、肝心の意匠設計がご無沙汰で、最近はめっきり構造のお仕事で手一杯でもある。
そんな構造の仕事でふと思うことが というよりも 不満に感じることが。
いきなり例えからであるが、以前、東京芸術大学卒の芸術家の方々と閲する機会があり、彼らと接していると、すべて一からが基本で、なにもかも自分で作るというのが見ていてわかる。
当時、建築をやっている自分から見ると、全部自分でやる じゃないので、大変に見えると同時に、芸術とはそういうものと思っていたが、この「すべてじぶんでやる」という意味が 最近 「どうしてなんだろう」と 自分の業界への疑問に転じてくる。
そもそも論、「骨」である構造は 構造設計者 という別部門に「丸投げ」が現状で、いわゆる、建築基準法と施主の意図を具現化する いわゆる「意匠設計者」は、浅く広く 物事を理解すべきなのに、こと構造については、ノータッチに近い。しかし、全員じゃない。詳しい方もいるが、自分の依頼する方の3/5は、構造にこと疎い。
当然であるが、ぜんぜん知ろうとも思わないので、意匠図でも、おかしなことが多い。
構造計画が見えないのだ。つまり、当方で いろいろいうと、設計やり直しとなり、意匠設計の意図が具現化できなくなる。
以前、とある意匠設計者に「構造はあきらめて4号建築で自由に作ったら?」といったことがある。
4号建築とは、低層2階建て程度の木造だと、構造計算までは免除され、意匠設計者の責任の元、設計してかまわないことになっているのだが、(裏は「構造までやっているよね?当然」という意味で、おろそかにしてはいけないはずなんだが) そのルートでやったほうが意匠のやりたいことができるのでは?と真面目に言ったことがある。
意匠設計者はそれでも、いざ 自分が構造が成立していない建物をつくった事が怖くなり、「守った建物にしたい」という人の方が多いが、結局、自分の意匠設計を台無しにしてしまうわけだ。
しかしここで言えることが、「全部自分でやる」なのだ。
もっとも、完全には無理でも、「構造計画」ができる程度はやるべきなのだ。
「構造計画」とは、木造住宅で言えば、耐力壁が満たされているか、4分割法での検討はOKか? 大きな吹抜はないか? ある場合は対策は考えているか? スパンは飛び過ぎていないか? 梁せいが予想できる範疇での天井高さの見込みは大丈夫か? 等だ。梁せいは、木造の場合でもスパンの 1/10 か 上部に耐力壁が載っている大スパンの梁だと 1/8 とかになるとかで ちょっとぐらい見込みを立てるべきなのだ。
でも、できない。普段の仕事だけで手一杯だからだ。
でも、正直、とても必要なことで、あまりにもなおざりになっていると 当方は思うわけで、
「骨作らずして 作品を作ったことに非ず」
だと思うのだ。
そこができる設計者との実力差が かなり感じられる。意匠設計者には耳が痛い話だが、総じて、バリバリのデザイナー系は 特にそんな傾向を感じる。
一級建築士は デザイナー系 か エンジニア系 かが分かるようにした方が 施主の為かもしれない。
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